昨日は新しく始まるプロジェクトのクライアントとの打ち合わせに伊勢方面まで行って来ました。
せっかく伊勢まで来るのだからと、少し足を延ばして鳥羽市にある海の博物館へ再訪してきました。
海の博物館は1992年に開館した建築家の内藤廣が30代の頃に設計した出世作です。
設計当時はバブル景気真っただ中で、建築界は潤沢な工事費をかけたポストモダン建築が踊っていました。そんな建築界の中にあって内藤廣はこの片田舎にある小さなローコストの博物館の設計に7年を費やし格闘して完成させた建築です。
まず最初に上の写真のようなプレキャストコンクリートをかけた収蔵庫を3棟作ったのですが、床面積2,000平米に対して工事費はわずか2億円。坪単価にすると坪33万円というローコスト。いや信じられないくらいの超ローコスト!そこにどれだけの格闘があったのかはそれだけでも想像できます。
展示棟の方は収蔵庫と同じような円弧の梁を集成材で飛ばして、足元をRC(鉄筋コンクリート)で固めています。これらの構造と空間が一体となった建築の在り方はその後の安曇野ちひろ美術館などその後の内藤建築へとつながっていきます。
日経BP社から出版されている建築家シリーズのシリーズ03に内藤廣が掲載されているのですが、その最初のページにこんな編集者の文章が掲載されています。
以下引用
(前略)
今回取り上げた内藤廣氏は、前2冊で取り上げた伊東豊雄氏、隈研吾氏とは設計のスタンスが大きく異なります。伊東、隈両氏は、時代の変化をいち早くとらえ、自らの建築の中に採り入れてきました。その結果、20年前と現在のプロジェクトを見比べると、別人のようにも見えます。両氏は「変わる」ことによって、建築界のトップランナーであり続けている、と言えるでしょう。
では内藤氏はどうかというと、氏も建築界のトップランナーの一人であることは変わりませんが、時代との向き合い方は対照的です。本書をパラパラとめくってみれば、掲載されたプロジェクトに共通する何かを感じるはずです。そこに通底するのは「流行を追わず、時に耐えうるものをつくる」という設計姿勢と、「生産システムに立ち返って空間を考える」という発想法です。
そうしたスタンスは、出世作である「海の博物館」ですでに確立しています。同博物館が日本建築学会賞作品賞を受賞した後のインタビューでは、「私はアーキテクチュアとは本来、人間の生命を超えるものだと思います。(中略)そういった時間を考えた時、ものの成り立ちや生産の過程を見つめて、ディテールなりストラクチャーなりを『削り出す』作業が必要になる。」と語っています。その後のインタビューを読んでも、内藤氏の姿勢はほとんどぶれることがありません。
(中略)
内藤氏は2001年から教鞭を執った東京大学の学生に対しても、「流行を教えてもしょうがない」と言い、納まりや素材の物性など、「確かで変わらないこと」だけを教えてきました。それは表面的なトレンドを教えるよりも、はるかに労力を要することです。
以上引用
このような文章を読むまでもなく、目の前の建築を見ればそれは自然と身体で感じるものです。僕が伊東豊雄や隈研吾などの表層的な、表現としての建築が嫌いな理由がそこにある。建築はもっと具体的で手に取ることが出来るものであると僕は思う。