「等身大の心地良い暮らしをデザインする。」
これは僕のホームページのトップページに書かれたメッセージですが、完成して何年も経ったクライアントから先日、
「実際にこの家で暮らして、その等身大という言葉は本当にピッタリだなと実感しています。」というメッセージをいただきました。
「等身大」という言葉は、僕が悩み考えて表現した言葉ではなく、今までのクライアントとの仕事や、完成した後のクライアントの暮らしから実際に僕自身が感じ取ったそのままの言葉であり、その「等身大」であることこそがそこに暮らす人にフィットし、心地良く暮らす重要な要素になると考えてそのようなメッセージを掲載しています。
僕が所属する(公社)愛知建築士会の毎月送られてくる会報が先日届いたのですが、その中に建築家の堀部安嗣氏の文章が掲載されていました。
内容は、堀部氏が影響を受けたスウェーデンの建築家グンナール・アスプルンドや、帝国ホテルや落水荘でも有名なアメリカの建築家フランク・ロイド・ライト、そして僕も大好きなアメリカの建築家ルイス・カーンの事に触れて書かれていました。
堀部氏はその中でこんなことを書かれていました。
アスプルンドにしてもライトにしてもカーンにしても想像していたスケールよりも実物はひと回りもふた回りもスケールが小さいことが共通している。写真では近寄りがたい崇高なイメージがそう錯覚させているのかもしれないが、建築家本人が設計で考えているのはあくまで等身大の人間にとって心地良くフィットする普遍的な寸法を追及しているだけなのだと思う。
僕もまさしくその通りだと思います。僕自身が良いと感じる建築のほとんどがスケール感が小さい。それは単なる建築の規模が小さいという意味ではなく、そこに込められたスケール感という意味であり、一般的にはヒューマンスケールという言葉で語られる事が多いのかもしれません。
そのスケール感が空間の親密さを感じ、隠れたディテールを感じ、建築家の世界観を感じさせるのです。
それは決して目には見えないものであり、実際にその空間に身を置かなければ感じることが出来ないリアルなものでもあります。そうやって目に見えない良さを感じられる建築というのは、いつまで経ってもその魅力を失わないものだと僕は思いますね。
そして僕もそういった建築をつくっていきたい。