僕がまだ独立したての30代前半の頃とは違い、家を設計する上で「暮らし」というものをとても意識するようになった。もちろん若い頃だって生活についても考えてはいたけれど、今の感じている「暮らし」というものとはほんの少しだけニュアンスが異なる。
なぜそのように「暮らし」について意識するようになったかというと、それはもちろん僕が家族を持ち、家族とともに暮らしを重ねてきたという事もあるけれど、何より大きいのは、今までに多くのクライアントと関わり、その暮らしを見てきたからであり、そのクライアントの暮らしから多くの事を学び、感じ取ることができたからだと思う。
先月引き渡しを終えた「木賀の家」のクライアントのKさんからこんなメールをいただきました。
ほんとに最近、住みやすさが抜群になって来ました!
僕らにはピッタリなサイズですし、雰囲気や使い勝手も!
家に帰ってからのあの木の香り!
ありがとうございます!
このようなクライアントからのメールをいただくのは本当にうれしいものです。引き渡しを終えた後は、家の住み心地や使い勝手はどうだろう?気に入ってくれただろうかと、いろいろと気になるものなんですが、こんなメールをいただくと、ちょっとひと安心って正直思います。笑
僕なりにクライアントの暮らしを思い浮かべ、一生懸命に考えた家が出来上がり、「今頃、家族みんなで食卓を囲み、楽しい会話を交わしながら夕飯を食べているんだろうなぁ。」とか、いろいろな暮らしのシーンの想像を巡らせます。
チラシや不動産情報でよく見かけるnLDKという間取りに感化されてしまった人は、リビングが何帖以上必要とか、子供部屋が何帖以上必要とか、とかく必要以上に広い部屋を持ちたがります。でも「暮らし」というのは、「等身大」であることがとても重要だと僕は思っています。「等身大」であるという事はそこに暮らすクライアントに合っているという事だからです。見栄を張りたいなら別ですが、必要以上の大きな家はいらないと僕は思います。
「小さい家を設計して下さい。大きな家はいりません。」
これは以前にあるクライアントから最初に言われた言葉です。僕はその時はじめて「小さい家を設計して下さい。」とクライアントから依頼されました。そして当時の僕の設計の中で一番小さな家を設計しました。
その小さな家に生き生きと暮らすクライアントの暮らしを見た時、僕の中で何かが変わったような気がしました。
「等身大の暮らしをデザインする。」
これが今現在の僕の設計のテーマです。
青木昌則建築研究所