先日いただいたSAAB C900のカタログにこんな言葉(抜粋)が書かれている。
ファイン・アート。それは、SAABの個性です。
私達は、誰にも好まれるような車だけは、決してつくりません。他の車とはまったく違う方向で、クルマづくりを追求し、あくまで自分達の設計思想を、頑固なまでに守っているのです。SAAB900―この車は他人の意見ではなく、自分の主張をもつ知的な人々にふさわしい車といえるでしょう。
この快適さは、写真だけでは語れない。
私達は、見せかけだけの豪華さだけを競うつもりはありません。例えば、長距離を快適に運転するためには、それ以上の何かが必要だからです。SAAB900が長距離走行でどんなに素晴らしい性能を発揮するかは、写真で示すことはできません。
SAAB独自の安全思想。
設計者は、どこまで広くドライバーの事を知っているか。そしてドライバーは、どこまで深く車と対話できるか・・・。安全性とは、設計者、ドライバー、車との信頼関係が重要なポイントになります。
SAABクォリティ。見えない違いが見えてきます。
品質の高い車の製造には、より長い時間が必要です。また、品質とは後で付け加えるようなものではありません。品質とは持って生まれた素質です。それは、開発・設計の際、確かな図面データとなって明示されていなければなりません。品質とは、はっきりとは見えないものです。しかし、SAAB900の品質は、見えなくても、あなたはそれに気づかれるでしょう。
いつも整備をしていただくメカニックの方は、「この車(=SAAB C900)はもの凄いコストがかけられた車ですよ。おそらく開発費なんかも相当なものだと思います。」とおっしゃっていました。
それほど”つくり込み”がされている車と言えるのだと思います。しかもそのつくり込みにはすべてSAAB独自の哲学を感じさせます。
僕自身も、この車を手に入れるまではこの車の本当の魅力というものにはまだ気付いていませんでした。はじめてこの車のステアリングを握った時の独特の印象は今でもはっきりと覚えています。そしてそれがSAAB C900を買う決定的な動機でもありました。
しかし、この車の魅力はそれだけではありませんでした。それほどの目に見えないつくり込みがされたこの車は、実際に使用すればそのドライブ・フィールや運転の操作性、各スイッチ類の類稀なタッチ・フィールと使いやすさが自然と身体で理解でき、そしてそのどれもがまぎれもなくSAABなのです。何も声高に主張しなくてもそのどれもがまさにSAABの世界観なのです。
でも、あらためて考えても、この感覚というのは、僕が良いと思う建築の姿にとてもよく似ている気がします。