今日は午前中、「平子山の家」のクライアントのMさんとの打ち合わせでした。
Mさんは
「もう見積の段階まで来てしまったんですねぇ。『ああ、もう設計工程が終わってしまう』と少し寂しくも感じます。」なんて事をおっしゃっていましたが、楽しいのはこれからですよ。現場が始まって、多くの職人さんたちが現場に通い、家が建ち上がってくる姿を目の当たりにしていく事は本当にワクワクしますからね。なにしろ僕自身が毎回そう感じますから^^。
とは言うものの、見積が出てくるのはまだこれからなんですけどね・・・^^;。(ヨサンナイニオサマリマスヨウニ!)
話は変わりますが、昨夜、現在設計中の「豊田の家」のクライアントのYさんからメールをいただきました。
僕にはじめて会う前から僕のこのブログなどを過去のものを含めてある程度読んでいたそうですが、あらためて何日かをかけて僕のブログや以前の旧ダイアリーすべてを読破したそうです。面白くてついつい読み進んでいってしまったそうですが、よく全部読みましたね・・・。
旧ダイアリーは以前はホームページ上に載せていたものなんですが、ダイアリーからブログに移行したのをきっかけにそれまで綴っていたダイアリーをすべてブログに「旧ダイアリー」として引っ越し(転記)させたものです。だから、細かい事を言うとところどころ文章がおかしくなっていたり、更新日が前後してしまったりと転記ミスが時々あります。ただまあ僕が言いたい事にそれほど変わりはないのでそのままにしてしまっています。
僕のブログ(+旧ダイアリー)をすべて読んだYさんは、僕の考え方、スタンス、雰囲気がずっと一貫していて、それが僕の建築にも表れているとおっしゃっていました。建築に僕らしさが出ているという事から、ある意味、建築というのはすごい自己表現なのかなともおっしゃっていました。
まあ、考え方なんかが一貫しているというのは、進歩が無いからとでもいいましょうか、進歩が遅いからとでもいいましょうか、そんな感じです・・・。(苦笑)
そして、自己表現と言うのは確かにそうかもしれませんね。でも「自分らしいオリジナリティを表現してやろう」と考えながらつくる自己表現では決してありません。少なくとも僕の場合はそう感じていますし、Yさんもそうお感じになったのだと思っています。
自己表現とは僕が何度も言う「建築はつくる人間のパーソナリティ(哲学と言ってもいいです)が自然と表れてきてほしい。」という事です。僕自身の身体の中に染み込んだもの(今まで経験してきた事、実践してきた事、検証してきた事など)が自然に表れてくるものです。自然にと言うからにはそこに「誇張」や「偽り」と言ったものはありません。あくまで等身大であると言う事です。
Yさんのメールの最後に、
「ルイス・バラガンや吉村順三を青木さんが好きな理由がなんとなく分かりましたし、安藤忠雄があまり好きでない事もなんとなくわかりました(笑)。(間違ってたらごめんなさい。何となくそう思ったものですから・・・)」と書かれていました。いや、建築家としての安藤忠雄本人は決して嫌いではありませんけどね・・・^^;