昨日は安城市にお住まいのHさんご家族と、昨年6月に完成した「
高浜の家」を見学させていただきました。クライアントのOさん、いつも快く見学をさせていただき本当にありがとうございます^^。
Oさんご家族にお会いするのは前回家を
見学させていただいた10月以来ですが、いつお伺いしてもくつろぎの時間と楽しい会話をさせていただきます。家の完成後というのはこういった機会でもない限り普段家におじゃまする事も少ないのですが、いろいろと家づくりの時の思い出とか、建築に対するクライアント自身の視線の変化だとか、家の住み心地だとかいろいろお話もお聞きできて、なんだか嬉しいものです。そしてそういったクライアントのありがたい言葉が、僕自身がこれからも建築の道を進む上での大切な経験となります。
見学されたHさんご夫婦も「見学できて本当に良かったです。見なければ絶対にわかりませんでした。」とおっしゃっていました。クライアントのOさんがそうであった(実際、Oさんも「
雄踏の家」を見学された事が決定的だったそうです)ように、実際に家を見て感じる事が本当に大切です。
写真で伝わる事もあれば伝わらない事もたくさんあります。でもクライアント自身が長い年月生活するのはフォトジェニックな写真の中ではなく、リアルな空間の中です。そのリアルな空間から感じ取るものこそがクライアントにとって必要であり、本当の心地良さなんだと僕は思います。Hさんもおっしゃっていましたが、「写真で良いなと思って実際に家を見学に行くとそうでもないという事も多くて・・・。でも今回の家(=「高浜の家」)は全然そんな風には感じませんでした。」と。
正直言って僕自身でもそういった事はたまにあります。他の設計事務所の写真なんかを見て「きれいな設計をするなぁ。」と感じていた建物でも、実際に見に行くと「あれ?」と感じる事がたまにというかよくある。
そこには「何か」が足りないのだ。
その「何か」がある建築は実際に見れば見るほど僕の心を動かすものだけれど、そうでない建築というのは、「ふ~ん。」とただ思うだけだったり、「あ~、実際はそうなんだ・・・。」と、なんだかとても寂しい感覚を覚える。
もちろんその「何か」だけで建築の良し悪しを判断できるものではないと思うけれど、少なくとも僕が良いと思える建築にはその「何か」は絶対に不可欠なものである。
まあこれは、あくまで僕の個人的な考えなので、他の人から見れば「何をアホくさい事言っとるんだ。」と言われるかもしれません。だからそうでないものにとやかく文句を言うつもりもありませんし、僕が絶対的に正しいというつもりもありません。ただ、僕がそういったものを大切にしているという事に偽りはない。