現在春日井市にて工事中の「岩成台の家」のクライアントのHさんから、つい先日、
「守山の家」のオープンハウスの見学のお申し込みと一緒に、こんなメールが届きました。
こうやって青木さんのお家が見れるのも今回で最後になるかも?と思うとちょっと寂しい気がしますが…。
これまで色んな家を見せて頂きましたが、実はいつも確かめていることがあるんです。
まず部屋に入って感じる雰囲気、そこに流れている空気のようなものなのですが。
初めて雑誌で青木さんの家を拝見した時にも、他の家とは違う、温かみというか居心地の良さを感じ、実際に家を見てみたいなあと思い、恐る恐る連絡をして、「雄踏の家」の工事中の現場にまで押しかけてしまいましたが…。
その後「緑ヶ丘の家」を見せて頂いて、とても気持ちの良い居心地の良い空気が流れていてきっと目に見えないこういう所を大事に家を設計していらっしゃるんだろうなあと、もうその帰り道の時点で青木さんに設計をお願いすることは決めていました。
私達の家が完成して、その居心地の良い空気をいつも感じながら暮らせるなんて、とても幸せだなあということです。
工事の方はこれから続きますが完成を楽しみにしています!
ありがとうございます、Hさん^^。
Hさんからは私に対する信頼感をいつも感じていますが、こうやってあらためて言葉にしていただける事は大変うれしく思うのと同時にとてもありがたい事だなと感じています。
僕は家を設計するにあたっていつも心がけている事が、Hさんの言う空気感のようなものを大切にしたいという事です。それは僕が何度も言っている事ですが、写真だけではそのすべてを伝えられない感覚です。建築というものは3次元のリアルな空間としてそこに存在し、刻一刻と流れる時間の流れ、光、手触り、匂い、肌に感じる風や湿度などを通して感じるものです。そして住宅のような空間には非日常的な驚きの仕掛けやデザインは不要であると僕は考えます。ごく当たり前の事をごく当たり前につくる事。それが重要だと僕は思います。
ごく当たり前の事をごく当たり前につくるなんて、そこにはデザインは存在しないのか?と問われるかもしれません。
でもデザインって何でしょう?
奇抜で変わった事をする事?
誰も考えないような形を創造する事?
もちろんそれもデザインのひとつである事は確かです。でも、僕が住宅建築に求めるものはそうではありません。長い時間と共に陳腐化する形やデザイン、欲望を形にしたようなデザインではなく、もっとごく自然に、静かに語りかけてくれるような建築でありたいと思っています。
食事に例えるならば、贅を尽くした豪華な食事をつくる事ではなく、毎日食べる白いご飯を当たり前においしく炊く事を心がけたい。「あ~今日もご飯がおいしい!」と感じられる事。おいしい白いご飯を食べる事に飽きたりはしませんよね、普通(日本人ですから)。毎日食べてもおいしいと思えるようなご飯をつくる事。それは意外に難しい事かもしれませんが、そういった事を僕は大切にしたい。
でもこれは僕が食通でも何でもなく、ただ僕が白いご飯が好きなせいなんでしょうかね?